沿革


人皇七十二代堀河院の寛治五年、源義家の清原武衡・家衡誅討の時、宮を白鳥村(村山市白鳥)へ遷す。其の後世上静謐となって今の宮地に瑞垣を構えて鎮座し奉る」と伝える。

天正初年頃、白鳥十郎長久公が谷地城築城の折、白鳥村より現在地に遷宮し奉祀致しました。その間、円福寺を別当職として寺坊多数で奉仕される。

「御門主御末寺の御令旨」をもって御室直末寺とし、幡谷山円福寺と称して明治初年まで真言宗をもって奉仕される。

明治六年郷社、同四十年には神饌幣帛料供進神社に指定されました。昭和十五年県社に昇格。昭和三十四年別表神社に昇格し、社名を創建当時の「谷地八幡宮」と改称。

平成三十年、日本遺産「山寺が支えた紅花文化」の構成文化財として認定を受ける。

御祭神

応神天皇


応神天皇は、第十四代仲哀天皇と神功皇后の第四皇子で、誉田別尊であります。ご在中、海人部、山部を定められたほか、韓や漢の人々の来朝や帰化するものが多く、外来人との交流を深められ、技芸や文学の興隆に尽くされました。

貞観元年(八五九)宇佐神宮より山城国石清水に勧請され、石清水八幡宮を祀られました。古代日本発展の神として国家国民の信仰を受けてまいりました。

配祀神

市寸島比賣命


明治はじめに八幡宮の境外地(南小路)にあった旧号『弁財天堂』(旧社地東十七間一尺南北十四間三尺)を合祀いたしました。

歴史


慶応

  • 慶応二年四月長延寺出火(谷地中心部大火となり、当宮ほか別当寺堂烏有に帰す。)

明治

  • 明治六年八月神仏分離令発布により郷社八幡神社に列格
  • 明治四十年四月郷社、明治四十年には神饌幣帛料供進神社

大正

  • 大正三年時報堂建立 和田啓治寄進

昭和

  • 昭和十五年九月県社に昇格
  • 昭和二十一年九月氏子会を結成
  • 昭和二十七年五月舞楽を高松宮宣仁親王殿下より御覧を賜る(慈恩寺にて)
  • 昭和三十四年八月別表神社に加列。社名を谷地八幡宮とする
  • 昭和三十五年昭和天皇香淳皇后より舞楽の天覧を賜る
  • 昭和五十年八月ご社殿復興百年記念に石舞台復元、収蔵庫、渡廊下新築
  • 昭和五十一年九月人間国宝月山貞一師鍛冶月山顕彰碑除幕式
    • 月山一門により東北初の神前打ち、三年後大太刀の奉納
  • 昭和六十三年五月舞楽を秩父宮勢津子妃殿下より御覧を賜る
  • 昭和六十三年九月皇太子・皇太子妃両殿下(今上両陛下)本宮に行啓を賜り「舞楽」の御覧を賜る

平成

  • 平成三十年日本遺産「山寺が支えた紅花文化」の構成文化財として認定を受ける。

境内社


  • 八坂神社
  • 天満宮
  • 竈戸神社
  • 雷神社
  • 金山神社
  • 稲荷神社

社宝


  • 短刀(銘月山)
  • 大太刀一
    • 人間国宝月山貞一師奉納
  • 祭礼絵巻三巻

施設


  • 舞楽石舞台・楽舎
  • 時報塔(時報堂)
  • 石碑
    • 舞楽天覧の碑
    • 鍛冶月山顕彰之碑