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谷地八幡宮例祭(谷地どんがまつり)
九月 敬老の日を含む3連休

谷地八幡宮例祭(谷地どんがまつり)

谷地どんがまつりとは

谷地八幡宮の例祭のことで、藩制時代の記録によると、見物の人々が最上郡中より十万人もあったといいます。元治元年(一八六九)には、山形名物番付で東の大関の格をしめていました。現在では三日間ですが、当時は七日間の永い祭りでした。

紅花による財力を恐れた幕府は当地方、谷地八ヶ村をそれぞれ天領・秋元領(上山領)・戸沢領に三分割して帰属させました。ときの英知はこの制度を利用し、三年に一度の当番制として祭典一切の所役を務め、さらに大当番を置いて差配をとりもたせました。この当番制度は町内間の競争心をあおり、いやがうえにも祭の熱を高めてきました。この間の取り決めは細部にいたるまで厳重に決められており、現在でも厳しく引き継がれています。

神輿は「ごらんじょう詣り」として、当番地区内の御旅所に渡御し一泊します。翌朝、威儀物を整え、御旅所を出向し本宮へ還ります。還御行列では、先頭に谷地奴が供奉し、後尾に囃子屋台が従い一キロ有余にもなります。

境内石舞台では、国指定重要無形文化財「林家舞楽(谷地の舞楽)」が公演され、終了後に奉弊式が斎行されます。このお祭りが「どんがまつり」と呼ばれるのは、舞楽の笛・太鼓の音の「オヒャロドンガ」からきていると言われております。

現在の祭り形式をとってからすでに三五〇年以上になります。

谷地奴

谷地奴は、当宮例大祭神輿渡御の露払いを務めます。その勇壮な姿と、面白い掛け唄入りで、振り奴としては他には類のないものと称賛されています。その起源は定かではありませんが、記録によると、天明四年(1784)には神輿渡御の露払いを務めていた事をうかがう事が出来ます。

挟箱(はさみばこ)2名・立傘、台傘各1名・大鳥毛1名・黒熊毛(しゃぐま)2名・白熊毛2名の9名からなり、それぞれに付人1名と先払い、草鞋(わらじ)持ち等総勢27~8名で構成されます。

奴は大当番地区から選ばれますが、一世一代谷地男の名誉とされています。その力強い掛け声と、独特の振り唄で練りゆく様は勇壮で、特に振り始めと終わりの「立て」と呼ばれる所作は見事です。

※境内での見所…神輿還御時(神輿が本宮へ戻って来る事)の鳥居二個所、及び社殿前。

囃子屋台

囃子屋台は当宮例大祭神輿渡御に供奉し、町内を巡演、祭の雰囲気を盛り上げ近郷からの人気も高い。

囃子屋台は当番地区の町内からのみ出す事が出来、お囃子もその町内ごと独自のものを持ち、それぞれに「出の曲」、「道中囃子」、「帰り囃子」と三曲があります。祇園ばやしの流れを汲むといわれています。楽器は、大太鼓・小太鼓(平鼓)は子供があたり、三味線、横笛、鐘は若衆があたります。

日程

前日
20:00~《楽揃式》谷地八幡宮社殿・境内石舞台
20:00~《奴祓式》谷地八幡宮社殿・参道

一日目
13:30~《例祭祓式》谷地八幡宮社殿
14:30~《舞楽奉奏》境内石舞台(七曲)
19:30~《ごらんじょうまいり》
19:45~《夜遊の舞楽》境内石舞台(一〜二曲)
20:20~《神輿渡御》
21:00~《神幸所着御祭》
終 日 《谷地奴、囃子屋台巡演》当番地区内

二日目
12:00~《神幸所発輿祭》
12:30~《神輿還御行列発輿》
14:30~《本宮還御祭》谷地八幡宮社殿
14:30~《舞楽奉奏》境内石舞台(十曲)
17:00~《奉弊式》谷地八幡宮社殿
16:00 ~《豆奴行列》

三日目
13:30~《大黒舞・歌謡ショー》境内石舞台
16:00~《献茶式》谷地八幡宮斎館
17:00~《全国奴まつり・囃子屋台競演》どんがホール

七日目
16:00〜《閉扉祭》谷地八幡宮社殿