貞観二年(860)に、僧円仁(後の慈覚大師)が羽州山寺立石寺を開山した。この時、大阪市四天王寺の楽人林越前守政照が円仁に従って東国に下り、四天王寺の舞楽を山寺に伝えたと古記録に記される。
その後、林政照の子孫は山寺で例年舞楽を奉仕したが、室町時代に慈恩寺(寒河江市)に、さらに江戸時代初期に谷地に移り住み、山寺・慈恩寺・谷地八幡宮の舞楽を司り現在に至る。
この千百五十有余年の間、門外不出、一子相伝の家憲を固く守り、次々に長子に秘法を伝承している。
林家舞楽は早くに地方に下ったため、平安中期以降の楽制改革(日本化)の影響が少なく、よりシルクロードの面影をとどめていると評される。
嘉暦四年(1329)に描かれた林家秘蔵の舞楽図譜(県有形文化財)には、二十九曲描かれている。現在は十一曲を伝承し、山寺立石寺の臨時法会、慈恩寺は五月五日の一切経会、谷地八幡宮は九月の例大祭にて奉奏している。
九月敬老の日を含む3連休(土・日・月)
一日目と二日目に境内石舞台にて舞楽を奉奏します。
五月五日(こどもの日)
本堂前に設けられた舞台にて舞楽(8曲)を奉納します。
昭和二十六年九月、谷地の舞楽保存会が結成され、地方唯一の伝統芸能の保存につとめ、昭和五十六年一月に「国の重要無形民俗文化財」に指定される。
平成三十年六月には日本遺産「山寺が支えた紅花文化」の構成文化財として、谷地八幡宮と共に指定を受けている。
昭和二十七年五月、高松宮殿下。
昭和三十五年五月十日、天皇・皇后両陛下の全国植樹祭行幸啓に際し、天覧を賜る。
昭和六十三年九月十九日には、皇太子・同妃両殿下当八幡宮へ行啓遊ばされ、内拝殿にてご覧賜る。